今回は世界史から読み解く西洋哲学や美術の紹介、「古代哲学とギリシア・ローマ美術編」です!
ギリシア神話を交えつつお話していきます!
1.そもそもギリシアってなんだっけ?
2.ペルシア戦争前後の哲学の変遷
3.ギリシア・ローマ美術の特徴
1.そもそもギリシアってなんだっけ?
ギリシアには紀元前800年頃からポリスという都市国家がいくつも存在しました。
それぞれの都市では、自立した国家を形成し民主制を行っていたと同時にそれぞれ違う神様を信仰していたそうです。
特に、有名なのがアテネやスパルタという都市国家で、みなさんも世界史等の授業で一回は耳にしたことがあるのではないだろうか。
そんなはアテネは、「アテナ」という戦の女神を信仰しており、自分たちをアテナの末柄だと誇りをもっていたそうだ。
写真右側に兜をかぶり左手に盾を持っているのがアテナです。
写真左側にいるのはアレスという戦の神。
イケメンで強いとギリシア神話の中で言われていることもあって、実はアレスはミロのビーナスで有名な女神の浮気相手だったりします。(ただし性格は悪く嫌われ者。)
絵画の中では、裸に兜だけの姿でよく登場します。
1771年[アレスとアテナの戦い] ジャック・ルイス・デビッド
2.ペルシア戦争前後の哲学の変遷
1.ソクラテス以前(BC600年-BC400年) 例)ピタゴラス、アナクシマンドロス
2.古典的(BC500年-BC350年) 例)ソクラテス、プラトン、アリストテレス
3.ヘレニズム期(BC350年-BC200年) 例)エピクルス、ゼノン
1.ソクラテス以前(BC600年-BC400年)
ソクラテス以前の哲学では、それまで信仰されていた呪術的神話的思考を引き継ぎ、主に「ピュシス」について考えの考えが深まっていきました。
「ピュシス」という言葉を訳すと<自然>
この<自然>には<本性><真の存在>という意味があり、ソクラテス以前の哲学者たちは「存在すとは何か?」と思考を巡らせていたそうです。
2.古典的(BC500年-BC350年)
【ソクラテス】
この時期、紀元前500年から紀元前449年にかけて ペルシア戦争(アテネやスパルタ等の連合軍 VS アケメネス王朝のペルシア)が起こります。
このペルシア戦争の影響で海外からギリシアに「知識人」と呼ばれる人たちが流れ込み、お金のために「弁論術」を教えていました。
次第にこの活動は悪化していき、悪徳で高度な詭弁術を教えるのが流行りました。
これを見かねたのが、「無知の知」でおなじみ!あのソクラテスです!
ソクラテスは詭弁を用いて民主主義が発展することに危惧し、「知識人」たちに「無知者」「愛知者」(知を愛するもの)として、質問を投げかけ続け、矛盾点を突くというやり方で知識人たちに「無知を自覚させた」と言われています。
その後、知識人の恨みを買ったソクラテスは裁判で死刑になってしまいました。
ソクラテスは「無知者」ゆえに「正しさは誰も知らないのだから正しく生きることは無理だ」と考えした。それに対して、ソクラテスの弟子、プラトンは「正しさはイデアにある!」と考えました。
また、プラトンは理想の国家について、人を適材適所の場所に配置すればうまく回ると考え、「アカデミーア」と呼ばれる学校を作ります。
そんなプラトンの有名な言葉がコチラ。
「哲学者が国政を担うか、政治家が哲学者になるか、このどちらかで初めて人間は正しいあり方・生き方を実現できる」
プラトンは理想主義であることがこの言葉からも読んでとれますね。
【アリストテレス】
ソクラテスやプラトンはアテネ出身ですが、アリストテレスはアレクサンドロス大王がいたマケドニア出身です。
その後、プラトンが作った「アカデミーア」に入学します。
プラトンが「真の存在はイデアにある!」この世のものは不完全と考えたのに対し、
アリストテレスは、「イデアは実体にある!」と考えました。
種が花を咲かせ、実を付けるように、「物事の未来は仕組まれている」「内在的に成長・変化するものを持ち合わせている」状態だと考えたわけですね
3.ヘレニズム期(BC350年-BC200年)
ヘレニズム時代とは、マケドニアのアレクサンドロス大王の支配がローマ帝国に広がるまでの時代のこと。ギリシア文化など様々な文化が混合し、ローマでキリスト教が発達した時代。ポリスが消滅した時代でもあるため、混沌な時代でした。
エピクルス派と呼ばれる人たちは心の平穏を求めて、世間の厄介事には関わらず「隠れて生きる」ことを選び。
ストア派のゼノンは、子どもがたとえ人質に取られてしまったとしても。
人間という本質は「死ぬもの」だと捉え、「自然に従って生き、心が乱れないことこそが心の平穏」と考えました。